予定鳥

 

  予定鳥に話しかけて、予定調和の人生を。

 控えめに言ってもあまり上手くのない洒落を使ったキャッチコピーを聞いたとき、宿木は珍しく微笑を苦笑にしていたのを、沙希は覚えている。

 予定鳥。白亜の森にある、樹齢が百を超える木の枝と葉、透明な水、そして沙希も分からない材料で作られた絵の具によって、宿木だけが作れる鳥だ。

 その予定鳥に予定を話しかけると、一ヶ月前から五分前まで時間を設定して、予定を教えてくれるようにできる。鳥かごに入れておいたらその中から、放っておいたら飛んでくる。

 宿木は予定鳥を商品にしようとは思っていなかった。それなのにいつの間にか予定鳥はお金と交換される鳥になっていた。

 沙希はいまでもそれをみにくく思っている。

だが、肝心の宿木が考えていたことは分からなかった。予定鳥がよく売れたことを安易に喜んでいたならあっさりと軽蔑できたけれど、どれだけお金が入ってきても、いつもと同じように微笑んでいるだけなので、沙希が言うことはなかった。言葉をひねりだしてまで宿木を傷つけたいわけでもない。

 その代わりに、沙希は四角く硬い灰色の街を嫌うことにした。街から一時間ほど歩いた先に白亜の森はあり、宿木と沙希はそこで暮らしていた。予定鳥について尋ねる以外で、白亜の森に来る人はいなかった。

 白い森は宿木と沙希と、予定鳥の世界だ。白く細長く繊細なつくりの宿木の手から作られた白く流れる付け根を持つ予定鳥は、みにくい人間の手に渡るまで自由に羽ばたいている。餌は食べなかった。前にあげようとしたが、止められた。

「木の枝の隙間から落ちるよ」

 製作者である宿木の言葉には説得力が溢れていた。

 細い木の枝を重ね合わせて小鳥の形にしたあとに、羽の部分を葉で作って絵の具で塗る。沙希を向かいに座らせて、宿木はちまちまと予定鳥を作る。沙希もそれを見るのが好きだった。

 日の光が当たると青く見える紺色の髪を首筋の半ばでそろえた、予定鳥と同じ夜空のように黒い瞳の青年。肌はのぺりとした白だが、気味の悪さはない。線は細いが、沙希よりも頭一個半ほど背が高かった。いつも丁寧に洗っている作業着を着ている。それが宿木だ。

 沙希はいつも鏡を見てどうして髪だけこんなに目立つのか不思議になる少女だった。瞳は宿木よりも光のある黒で、やせっぽっちの体に白いブラウスと赤いスカートという格好をしている。そこまでは普通だが、髪の色がオレンジから赤へと移り変わっているのだ。

 宿木いわく、夕焼け空の髪。その言葉は気に入っているので、自分の髪が嫌いではなかった。

 今日も夕焼け空の髪を揺らしながら、宿木が予定鳥を作るのを見ていた。手元には白くつるりとしたマグカップがある。中身は渋い緑色の薬草茶だ。

「あとどれくらいで終わるの?」

「色を塗ったら終わるよ」

 細い筆で枝の一本一本に絵の具を重ねていく。

 宿木が最後に作っている予定鳥はいつもと変わらないように見えた。

「私ね、前からすごく不思議に思っていたことがあるの」

「沙希の背が伸びないのは俺のせいじゃないよ」

「違うもの」

 からかっているのか本気なのか分からない言葉に唇を尖らせて、話を聞いてと訴えれば、宿木は手を動かす速度を緩める。

「じゃあ、今日の晩ご飯のことかな。肉はないよ。昨日胃もたれ起こしたばかりだからね」

「玉ねぎ一時間煮込んでくれる?」

「それも無理だなあ」

「だったら私の話を聞いてね」

 気付かれないように一瞬だけ細く息を吸ってから、宿木を見上げる。見られている宿木は予定鳥を見つめていた。視線の三角関係。

「どうして宿木は予定鳥を作るの?」

「夜明けをむかえたら教えてあげるよ」

 何十回も聞いた答えが返ってきた。今日も宿木には踏み込めないようだ。

 子ども扱いされているのか、一人の人間として距離を置かれているのか分からないまま沙希は質問を繰り返す。

「木の枝はなに?」

「時が刻まれているもの」

「葉っぱは?」

「移り変わるもの」

「水は?」

「めぐりつづけるもの」

「絵の具は?」

「世界を彩るもの」

 言葉に合わせてなめらかに筆は動いていた。人はたまに、人が作ったとは思えないものを作る。そのときだけ神様に近づいているのだろうか。

 宿木のような神様がいたら、のんびりしすぎて大変だけど。

 透明な水は絵の具のついた筆が沈んで白い煙を出す。宿木は別の筆を選んで、星が混ざったように光る黒い絵の具をつけると、予定鳥の目を描き始める。その一瞬に緊張して、動けなくなってしまう。

 軽く、しっかりと目ができた。宿木が予定鳥を机の上に置くと目が合う。

「予定鳥は、なあに?」

「夜になったら教えてあげる」

「そればっかり」

「午後三時に秘密は打ち明けられないよ」

 おやつにしよう、と宿木は立ち上がった。リビングからキッチンへと入り、棚にしまっていたクッキーを持ってくる。

「沙希はいつもくるみのをこっそり食べるんだから」

「宿木だって、赤いぷちぷちのを食べちゃうじゃない」

「男だからね」

 わけが分からない言い訳だと、肩をすくめて沙希は三枚だけ残った胡桃のクッキーに手を伸ばした。

 

 夜は冷たい空気が取り囲む。そこから逃げるためにもふもふの布団の中へ飛び込んだのだが、ほどよい眠りに誘われたところで揺り起こされた。

 沙希は不機嫌になりながら目をこすり、暗闇の中でぼんやりと浮かぶ青年の名前を読んだ。

「なあに?」

「予定鳥について教えてあげるよ。着替えて、外に出てきてね」

 ずいぶん下にあるだろう夕焼け空の頭を二、三回叩いて入ってきたときと同じ静けさで出ていった。

 まだぼんやりしながらも、パジャマを脱いで明日着るはずだった服に着替える。ボタンをとめて、スカートと靴下もはいて。部屋から出て行く。

 家の中には誰もいなかった。ひんやりとした空気だけが漂っている。この家はこんなにさみしかっただろうか。

 ふわりと上からケープが落ちてくる。振り向けば宿木も昼間と同じ服装で立っていた。

差し出される手を作るのはたくましい男の人の骨でも、まろみのある女の人の肉でもない。細い試験管を白くしたような、指。そこにまだ小さな丸みのある手を重ねる。

「行こう」

 うなずくことによって同意を示す。薄暗い空気をかき分けていくと外に続く扉が開かれた。包み込む黒は平らな筆を使って黒を一面に塗ったあと、水を含ませた筆で伸ばしていったようなやわらかなむらがあった。だが、白亜の木は黒になど染まらない。影によって灰色になっているだけだ。

 歩く速度は落ちた葉や木の枝がざっくりと音を立てるほどゆっくりしていた。ざく、ざく、ざく。音だけ聞くと、硬い雪の上を歩いているようだ。

 錯覚などを起こさないで確かだといえるのは、宿木と自分がつながれているということ。予定鳥を作り出せる不思議な手と、何も作れないちっぽけな手が薄暗い世界の中で、ぽつんと存在している。一人だったら塗りつぶされていただろう。

「ねえ、宿木。聞きたいことがあるの」

「明けない夜はないよ。眠りたくない夜があっても、朝は来る」

「どうして予定鳥を作っていたの?」

「夜が明けたら教えてあげるよ」

「そればっかり。じゃあ、予定鳥はなあに?」

 どうやってが知りたいのではない。何のために作られて、何のために求められたのか。沙希は予定鳥を作ってもらったことがなかった。だから、必要とされる理由を必要としていた。

 答えるときに相手の目を見ない、ずるいまね。

「予定鳥は、僕の理想からできたんだよ」

「どんな理想?」

「生きるのは楽しいこと。そんな、理想だよ」

 白くもろい木に触れると、手に粉がつく。ざらつきもない粉は手からはらはらと落ちていく。宿木は木に触れないで進んでいった。

木が続く道が終わる。そこからはまるで玉座に続く道のように、汚れのない道が作られていた。宿木が指し示す、多くの鳥が羽を休めている、宿木。指し示す指は下に向けられ、あるのは、かご。宿木の手首から肘くらいまでの大きさの壊れたかごが順番に並んでいた。

 目を逸らしたくなった。胸の奥からざわめく気持ちが怒りか悲しみか分からない。その感情の原因も、宿木を思ってのことか予定鳥を慈しんでのことか、ぐるぐると混ざり合って溶けたバターのようになっている。

 王に未来を告げる預言者のような足取りだった。宿木は進んでいく。沙希は追いかけられない。使い捨てれた、予定鳥の墓場を荒らしたくなかった。近づきたくなかった。

 宿木が、かごの近くに座る。

「これは、仕方のないことではあるんだ」

「どうして、そんなこと言えるの?」

「人のサイクルは一年だから。一年間鳴き続けたら、もう、新しい予定鳥に変えなければいけないんだ。昔、紙というもので予定帳を作っていたらしいけど、それもどうやって処分していたんだろうね」

 紙。その便利さから人に乱用されて、世界が崩壊しかける原因になったもの。過ちを繰り返さないために数百年前から人は紙を封印した。いま使われるのは、仕組みがよく分からない、押すと反応する機械だ。

 沙希も宿木も持っていないが、灰色の街に住む人間はこれがないと生きていけないらしい。

 宿木は持ってきていたバスケットから、予定鳥の材料を一つずつ並べていった。

 加護されなかったかごから、羽の折れた予定鳥を取り出すと、両の手で包み込む。

「まだ、夜が明けないね」

「うん。眠い」

「眠っていてもいいよ」

「見ていたいの」

 微笑んでから宿木は作業を始めた。放り投げられて砕けた予定鳥に、一羽ずつ新しい命を吹きこんでいる。

「こんなことをしても、過去になってしまった予定は変わらないんだよ」

「過去になってしまった予定って?」

「この予定鳥に、去年、一週間後にはオペラを見に行きますと話したとするね。その一週間後は去年のことだから、いまから見れば過去」

「まあ、そうね」

「一度予定を吹き込まれた予定鳥は、もう何も知らない状態には戻れないんだ」

「さみしい?」

 どうしてお金と予定鳥を交換し始めたのかなど、分からない。だが宿木が予定鳥をすきなのはわかっている。いつも見つめていた、微笑んで作業をする姿。いつもやさしい宿木がもっとも天使に近づく時間だったから。

「さみしいね。僕は予定鳥を記録ではなく記憶のものにしたかったから」

 一羽を癒すたびに、かごには戻さずに宿木がよりかかっている木の枝にそっと羽休めをさせている。

「明日は何があるのかな。一ヵ月後には、あの子と会えるのが楽しみだな。そんなを吹き込んで、楽しかったことを、あるいは辛かったことまで覚える。そのときに一緒に起きた感情も大切にして。そんな風に、予定を残せたらよかった」

 だけど、予定鳥を大切にした人はいないのだろう。一年がたったら、過去など思い返しもしないで、放り投げて捨てた。予定が終わって過去のことになったら思い返しもしない。怒りよりも哀れだ。

「人はもう、前にしか目を向けないのかな」

「それだったらいいんだけどね。前に進んでいるように見えて、立ち止まっていたら怖いよ。それは予定に向かって歩くのじゃなくて、予定が歩いてくるのを待っているだけだから」

「そういうのを、つまらない人生って言うの?」

 七羽目の予定鳥を木の枝に座らせた。振り向いて、沙希の言葉に違う視点を見せる。

「予定があるなら楽しくないこともない、かな」

「分かりにくいよ」

「ごめん、言い方を間違えた。予定に向かって歩くのは悪いことではないよ。ただ、予定があるから生きることとつながってしまうと、それはさみしいことなんだ。生きているあいだに、理想や夢という予定を立てられれば、楽しいんだけど」

「あの灰色の街の人にできるかしら」

「そのために予定鳥が」

 終わりは苦笑でごまかされた。

 木の葉で作られた羽に乗せながら、あまい理想を宿木は飛ばしていたのだ。

「理想を叶えたかったなら、お金なんてとらなくてもよかったんじゃない?」

「そうだね。必要としてくれる誰かに渡せばよかった。お金と引き換えになるとどこかゆがんでしまうから」

「分かったなら、また予定鳥を作ろう? 誰かに、そっとあげようよ」

「ごめんね、もう難しいんだ」

 かごから、飛ばなくなった予定鳥は解放されて、木の枝で羽を休める。壊れた部分を直しながら、並べていく。

 夜明けは近い。

「人が予定鳥を使い捨てるなら、それは記憶が不要だと言われているようで、胸が痛い。だから、試したいんだ」

 最後の一羽を木の上に置き、宿木は木の前に腰を下ろした。沙希もぺたりと座る。

 空は段々と白くなっていき、また一日が始まっていく。眠っている人たちのほうがいまはまだ多いだろうけど。

 目が覚めて、今日の予定を思い出す。それに何人が笑うのか、何人がつまらなくため息をつくのか。

「ねえ。楽しくない予定も、あるの?」

「生まれたこと自体予定にないはずだから、ないと思っていたよ」

「変な考え」

「ありがとう」

 褒めたつもりはないのだが、わざわざ口に出すのも意地が悪い。

 木を見ていた。予定鳥の後姿も見ていた。

 空は青さと明るさを取り戻していき、木の向こうからは光が昇ってくる。眩しさに目をとじると、大きく世界が動く音がした。

 予定鳥はいま、木から離れて外へ羽ばたきだした。それにあわせて葉もまた音をたてる。

 未来など知らず、予定などたてることすら考えない、他人の予定だけに生きていた鳥が飛び立った。

 彼らはどこに行くのだろう。

「試したいんだ。予定鳥にこれから書かれる未来は何か。楽しいか、つまらないか。希望か、絶望か。答えは返ってこないけど、試すことだけはしたかったんだよ」

「試さなくちゃ、分からないものね」

 宿木が鳥かごを持っていることに気付いた。

「それは?」

「君への贈り物。どんな予定でも、言っていいよ」

 かごを受け取る。言いたいことは、決まっていた。つぶらな瞳に視線を合わせながら、言う。

「明日も、明後日も、一週間後も。一年後も帰ってくるんだよ。これからずっと、楽しいことがあるんだから」

 かごの扉を開くと、予定鳥は飛び立った。見送る。青い空に溶け込んでいくような白を。

「今日の朝ごはんは、何にしようか」

「はちみつかけた、パンケーキ」

「いいね」

 木に背を向けて、歩き出す。

 今日はまだ始まったばかりだ。