夜明け前、世界を滅ぼした 二話

 

 

 

 俺が初めて彼女と出逢ったのは、布団おばけをされたときだ。

 屋敷の裏庭にある大樹の木陰で眠っていたところを襲われた。と思い、反射で目を覚ましたあとに身をくるむ布を持っていた少女を地面に押し倒してしまった。

 どうしよう。

 人には礼儀を持って接するように言われてきたのに、初めて見る女の子に技をかけてしまった。しかも親切に布をかけようとしてくれていたらしい。けれど、彼女はどこから来たのだろう。

 急な事態に戸惑う貴海に少女は手を伸ばした。

「元気じゃないか」

「あ、ああ。元気です」

「心配するまでもなかったな」

 なあんだ、とでも続きそうなほど気楽に少女は言った。

 貴海は目の前の少女のことがわからない。心臓が激しく動いているのは驚きからか、それとも別の理由からか。

「君は……」

「ファレンだ。預言者ノクシスの娘にあたる」

 太陽を背にして堂々と笑うファレンは眩しかった。桜色の長い髪がたなびいているのは春の初めに散っていく花を思い出させた。瞳は金色だ。中心に猫のように細い瞳孔がある。いまだ成長途中の少女の体を包むのは、薄青色をした長袖のワンピースだ。

「俺は」

「貴海だろう。我らを守ってくださる貴族様」

 いまだ草むらに腰を下ろしたままの貴海に、ファレンはまた距離を詰めてきた。同じように膝をついて顔を近づけてくる。

 かちあう瞳に映るのは好奇心ばかりだった。

「話には聞いていたが。こんなにも美青年とは」

「そうでもないと思う」

「はははは。謙遜よりも卑屈だな」

 ざっくりと言われた。

「そう言うのなら君だって、可愛らしい部類に十分入ると思うが」

「ははははは。ありがとう」

 快活に笑って受け止められたから、本音に少しだけ混じった嫌味の行き場がない。

 この少女は何だろう。

 今さらながら疑問に思う。預言者ノクシスは貴海が抱えている従属の一人だから彼のことは知っていた。娘がいるとも聞いている。それがこんな、素っ頓狂な少女だとは思いもよらなかったが。

 貴海はファレンをはねのけたいような、もっと近づきたいような感情のあいだで揺れていた。

 ファレンはまだ動かない。貴海も動けない。鼻先がぶつかりそうなほどの近さでお互いを映したままだ。

 沈黙に耐えきれずに貴海はファレンの肩を押す。ファレンは大人しく立ち上がった。

「さて、伝言だ。父様があなたを呼んでいる」

「……先に言ってもらいたかった!」

「すまないな。案内役を務めよう」

 この屋敷の主は貴海なのだが、ファレンはそんなことを全く気にしないで先に歩いていく。裏庭を抜けて、威圧してくるような屋敷の正門から入っていった。迷いなく一階を通り過ぎて二階に上がっていく。

 そう思えばたまに、こっそりと他の部屋の扉を開けようとするので貴海は呆れた。

 自分にはない幼さが、快活さが、きらめいて見える。人によっては物笑いの対象になる振る舞いだろうがそうであっても、ファレンは傷つかないのだろう。

 それがどうしたと不敵に自らを誇る。強さを感じさせる。

 ある意味では羨ましかった。俺は自分に自信などない男だから。

 ファレンは二階の談話室まで貴海を連れてくると、ノックもなしに扉を開けた。

「ああ。おかえりなさい」

 窓から外を見ていた青年が振り返る。ファレンと同じ桜色の髪を首あたりで切りそろえている。向けられる瞳の色もファレンと同じ、金色だ。

「父様、貴海様をお連れしたぞ」

「よくできました」

 ファレンの父であり、貴海が抱えている預言者であるノクシスは手を伸ばしてファレンを抱き寄せようとする。しかし、ファレンがするりとかわした。「もうそんな年ではない」と唇を尖らせていた。

「それでは、貴海様。今日の預言を始めよう」

 ノクシスはソファに座り、貴海は上座の椅子に腰を下ろした。ファレンはノクシスの後ろ側に立っている。

 いままで秋の日差しが差し込んでいた部屋は急に暗くなった。預言を語られるときはいつもそうだ。覗いてはならない闇を見るように感覚が研ぎ澄まされる。

「これから三カ月は大きな出来事などないね。君の母上も父上も息災だ。作物の収穫も無事に行われて、感謝祭も開かれる。問題は年が明けてからになるだろう。貴海様が十六の年になるとき、いままで浮いていた貴族の血を本当に継承するかどうか。あなたが選択しなくてはならない」

「前にも言ったと思います。俺は貴族を選ぶと」

「うん。でも、君はまだ君の定めを知らない」

 定め。

 ファタールの人は、覆しようのない苦難を抱えて生まれ落ちる。力を持つものになればなるほど、与えられた障害が険しいものになるとは、知っている。

 【ノーブル・ブラッド】がこの身に流れるのだから、俺の定めも簡単に越えられるものではないだろう。

「ノクシスさんは。俺が定めを知ったら貴族になるかどうかの決断を、変えると思いますか」

「変えないとは思う。揺らぐだろうけれど。ただ、知らないまま貴族の血を受け継ぐ儀式はできないから」

「ならここで教えてください。俺の定めを」

 貴海はノクシスをまっすぐに見つめた。ノクシスも視線を揺らがせない。ファレンは黙って見守っている。

 ノクシスが目を閉じた。次に、開くと言う。

「君はこの世界をどの君主よりも守りきるだろう。だけど最後には滅ぼすよ」

 矛盾するような内容だ。だが、貴海は言われたことを理解した。

 「俺が貴族にならなければ世界は滅びませんか」などと甘いことを聞きたい欲求にかられるが、それは意味のない質問になるだろう。そうなるとしても俺は、その道を選ばない。

 貴族になりたいからではない。俺が貴族にしかなれないから。

「やっぱり、そんなかたくなな瞳をするんだね」

「はい。俺は貴族になります。その意思は変わりませんから、儀式の準備を始めましょう」

「あともう一つ。貴海様。君は確実にこの子を嫁にするよ」

 言いながらノクシスが示しているのはファレンだ。急に話題に巻き込まれたファレンは首をこてんとかしげている。

 今度は貴海も言葉を失った。

「な、ど、うして……!?」

「いやならまあいいけど。僕は他の家に招かれているから帰るよ。ファレンはどうする?」

「貴海様のところにいる」

「わかった。じゃあね」

 そうしてノクシスは出て行った。

 残された貴海は呆然とする。ファレンはててて、と近づいてきたと思えば貴海の座っている椅子の肘掛けに手を預ける。

「君は」

「ん?」

「俺の、嫁になると……?」

「そうみたいだな」

 また、出逢った時とずっと変わらない。気が付くと差し込むようになった秋の木漏れ日と同じ笑顔をファレンは浮かべている。

 

 理解ができなかった。

 

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