夜明け前、世界を滅ぼした 六話

 

 

 二階の執務室からアーチを描く階段を下りていき、近衛兵の詰め所に向かう。本来の兵団よりも規模を小さくした部屋には防具の整備をしている二人の兵がいた。黒髪をくくった壮年の男性と、金髪を短く切りそろえた女性だ。

 それぞれルトとフォルスという。

「これから街へ出るのだが、どちらかについてきてもらえないだろうか」

「私が行きましょう」

 ルトが進み出る。フォルスの了承を取ってから、簡易な鎧を身に着け始めた。

「貴海様。その子が、預言者様のご令嬢ですか?」

 フォルスはかがんでファレンと目線を合わせる。ファレンはにっこりと笑って頷いた。

「ああ。オレが預言者ノクシスの娘である、ファレンだ。よろしく頼む」

「そうなのですか」

 フォルスは何やら楽しそうに笑っている。笑みの意図に気付けないまま、困惑している貴海に同情したのか、ルトがこづいた。

「貴海様をからかうんじゃない」

「はい。それでは行ってらっしゃいませ」

 フォルスに見送られながらルトは貴海とファレンの背中を押していく。そのまま詰め所を出て行こうとするのだが、ファレンは、途中で詰め所に戻った。

「何かあるのか」

「貴海様の好きなものでもお聞きになっているのではありませんか? せっかく外に出るのですから」

「俺の好きなもの?」

 言われるが簡単には浮かばない。口に手を当てて考えこんでいると、フォルスは黙って見つめてきた。

 緑の瞳には同情などなく、あるのは心からの気遣いと心配だ。

「ファレン様も年頃の女性です」

「そうだが、俺よりかはまだ幼くて」

「いえ。貴海様こそファレン様より、よほど色事に関して無垢ですよ」

 そうは言われても、とつい黙ってしまう。

 色事に関心がないわけじゃない。嫌いなだけだ、と言いきってしまえばそれはそれできかんぼうの強がりでしかないから言えない。

 思い出すのは以前の夜だ。ファレンは初めて会った男にいきなり技を仕掛けてきた。少女の純情と女の艶の両方を使って誘いをかけてきたが、俺は応えられなかった。

 獣欲の浅ましさとファレンを穢したくない意地が重なりあって防ぐことができた。いまは、どうか分からない。誘いに乗りはしないが動揺するはずだ。

 ファレンもそれを分かっているから、真昼の散策に誘う程度で済ませているのだろう。そう考えたらやっぱり、俺のがお子様になってしまう。

「貴海様。ファレン様が戻ってきましたよ」

「すまない、待たせたな」

「フォルスに何か用があったのか?」

 尋ねてみても「秘密だ」としか返されない。

 追求することでもないので、貴海は街に向かって歩き出す。

 

 

 

 護衛を一人だけにして、街を見回るのは久々だった。確かにたまには普段の市井の在り方も見なくてはならないな、と考えさせられる。貴族がいると聞いて緊張しながら日常の振りをするのと、かしこまらない街の活気は随分と異なっていた。飛び交う声は軽妙で高い。道を歩く人の姿もよそを見ていたり見とれていたり、もしくは目的地に向かって早足など様々だ。

 貴海を連れ出してきた理由であるファレンといえば。

「そこの果汁も美味そうだし、あちらの甘味も捨てがたい。だが、狙うのはあのふわふわか……?」

 などとすでにつかんだ手を放してしまったら、一目散に消えてしまいそうな好奇心で溢れている。

 なんとも無邪気な少女だと貴海は苦笑してしまった。

「ファレン。どこに行くのかは決まったのか?」

「とりあえずはあのふわもふわもこもこが俺を呼んでいる」

 ファレンが示したのは三角の耳をした動物のぬいぐるみだった。貴海の身長の三分の一はありそうなほど大きい。移動して良いかとルトに視線で尋ねると「お好きなところへどうぞ」と目くばせを返された。

 貴海は赤い屋根がかしいでいる屋台に近づいていく。少しだけ、場がざわめくが仕方ないと気にしない。

「すまない。こちらの猫のぬいぐるみが欲しいのだが」

「二千五百フィルですよ」

 屋敷を出る前に肩から提げた鞄の中から財布を出して、値段相応の金貨を空の器に置いた。店主は金貨の枚数を確認してから、つられている猫を下ろして、ファレンに渡す。ぬいぐるみを抱きしめたことにより強調されるファレンの小ささがいじましいのか、持ち運び用の鞄もつけてくれた。

 一連の流れにファレンは目を丸くしている。

「どうしたんだ?」

「これは、プレゼントというものか」

「まあプレゼントだな」

 それだけの言葉だというのに。

 ファレンは一気に花開いた。ぬいぐるみを抱きしめて、つないでいる手に指を絡めだす。見上げてくる瞳が淡く潤んでいた。

 貴海は一気に気恥ずかしくなって、それでもファレンの手を放さずに歩きだす。

「甘味とか」

「うん」

「果汁はいいのか」

「うん。いまはいい。貴海様からもらったこれで十分だ!」

 どうして君は、そんなにありのままに振る舞うのか。たかが、とも言う気はないけれども。そこまで喜ばれたら背筋がむずがゆくなる。

 誰かを喜ばせるために、こんなことをしたいとも、する相手も、駆け引きがなかったらファレンだけなのだろうなとも考えてしまうから、やっぱり俺はやられている。

 後ろについているだろうルトを見ると感慨深そうに頷いていた。貴海の父の代から勤め始めた近衛騎士だが、その様子は子供の成長を喜ぶ親族のようだ。

 さらに気恥ずかしい。

 ファレンは変わらずぬいぐるみを抱きしめたまま、貴海と並んでいる。その様子はさわさわとささやかれているようだが、今さらつないだ手を自由にするなんてできない。

 はっきりと分かるように好奇心の視線を向けられるが人々は貴海たちに近づかない。屋台が並ぶ通りでも貴海たちには当たらないように譲られる。好きではない気遣いだが、気遣っている人々の好意を損ないたくはないので貴海は黙々と進んでいった。

 その足が止まる。

「久しぶりですね。貴海様」

「……ああ」

 声をかけられて一応返事はする。前に出てきた少女は、良き仲になるのではないかと周囲が盛り上げて消えていった相手だ。

「女性を連れているところなんて初めて見ました。少し驚いています」

「それは、まあ」

「俺は貴海様を好いていますので」

 場が静まった。

 可愛らしく笑って、貴海の手ではなく腕に腕を回してくる。ファレンの挙動に相手だけではなく、貴海も緊張した。

「おれ、ということはその方は……?」

「女性だぞ? まあ、しゃべり方などは変わっているかもしれないがな。ははは」

 少女はいぶかしむ視線を貴海に投げてくるが、貴海も言いつくろうのは飽きてきた。

 誰かに。それに、自分にも。

 こんなに振り回されているのだから、そろそろ認めても構わないだろう。

「彼女は俺にとって、最も良い関係にあたる女性。だな」

「そ、そうなのですか。貴海殿にもついに」

「そう言うところなので、失礼する。これについては特に口止めをしているわけでもないので」

 「行くぞ」とファレンの背中を押せば、「ああ!」とまた歩き出していく。ルトは立ち尽くす少女に頭を下げて、また貴海たちに付き添ってきた。

 人が行き交う街の往来で口にしてしまったのだから、すぐにこの話は街中を駆け巡っていくだろう。ファレンが既成事実を作ろうとしたのか、とも考えたが石畳を踏みながら楽しそうにしている少女にそんな考えは見て取れない。

 懐に猫が入り込んできた緊張感や、ささやかな喜びを胸にわかせる。ファレンはそういった少女だ。

 さて、次はどこに行こうかと考えていると。

 街の北側にある鐘が鳴り響いた。硬く反響する音が異常事態を知らせ広めていく。

 この街には、中央と東西南北に鐘が設置されているが、それが鳴った場所によってどこで問題が起きたのかは分かる。

 北の鐘が鳴るのは貴海の屋敷や領下において事故や事件があったということだ。

「戻るぞ」

 それだけを言って、貴海は走り出した。

 

 

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