夜明け前、世界を滅ぼした 九話

 

 

 

 談話室で貴海が来客を待っていると扉を叩く音がした。許可を出して扉を開けるとノクシスを先頭にしてファレン、最後に見慣れぬ女性が姿を見せた。

 紺色の髪を短く輪郭にそって切りそろえ、瞳は緑、唇は品良く赤い紅がさされている。落ち着いた雰囲気には枯れる気配はなく、首を落として散る花の潔さを抱かせた。

 それでも、彼女こそがファレンに奇跡を刻み込んだ。娘の人生を歪めさせた母親だ。

 ファレンの母親は一歩、先に出ると恭しく頭を下げる。

「今回はお会いできて嬉しく思います」

 貴海が手を差し出すと顔を上げてにっこりと微笑んだ。穏やかと形容できるがどことなく違和感を覚える。

「【ノーブル・ブラッド】の貴海様。あなたはどうやって奇跡を起こすのでしょうか」

 油断していた隙に向けられた切っ先は鋭かった。値踏みされている。

「少なくともファレンを利用してではありません」

「でしたらよかった。ファレンは私たちの大切な宝ですので」

「カノワさん。貴海様は浅慮なお方ではないよ」

 視線での戦いにノクシスが静かに割りいる。中断されたままカノワは視線を目を閉じることで退いた。口元には笑みを浮かべたままファレンを前に出す。

 談話室にある四人がけのソファに貴海とファレン、ノクシスとカノワが腰を下ろした。

 最初に貴海が切り出す。

「俺はファレンをもらい受けたい。そちらの意思は」

「願ってもないことです。ファレンが生まれ落ちたときから十六年間、定められたことですから」

「ファレンが俺と結ばれると決まっているから、ですか」

 カノワは頷いた。

「ええ。ノクシスさんの預言を聞いて私は何度もファレンに言い聞かせました。あなたと甘い夢を見る貴き人は貴海様と」 

 ファレンの恋情がいくらか仕組まれたものだと告白されるが、貴海はかまわなかった。

 隣に座っている愛しい人も俺を愛してくれた。それだけで十分だ。

「では、奇跡の式の内容は。それとどうして情交などという条件をつけたのですか」

「奇跡の式はありえないことしか起こせないといったもの。素肌の交わりが条件なのはもう嫁ぐと決められた娘ですもの。相手が分かっているのなら任せるのが安全でしょう」

「奇跡の式を目的に強引に事へ及ぼうとする相手もいます」

 貴海が硬くすごんでみせても、娘の母親は動じない。小さな微笑をこぼしながら言い放った。

「あなたがファレンを守りきる」

 信用を突きつけられた。信頼ではない。貴海は何があってもファレンだけは手放さないという確信を持たれていた。貴海としても言い返す言葉はなく、同意しかできない。

「ええ。ファレンは俺の愛しい人。誰にも穢させない」

「それに俺とて貴海以外にはなにひとつ譲りたくないもの」

 ノクシスとカノワは二人そろって食後の挨拶を述べた。楽しまれている気がする。

「僕たちはいつあなたがファレンを娶ってもかまわないよ。むしろ早いほうがいい。この世界はもうすぐ終わるから」

 いままで言われていたことが間近に寄せられた。貴海は眉を寄せる。

「俺が貴族になるがために世界は滅びるのですか」

「そうとも言えますし、違うとも言えます。ノクシスさんはあなたが世界を滅ぼすと言葉を預かってきましたけれど、世界が滅びるということはどういうこと?」

「初めに時間の消失。次に空間の消失。そして最後に概念の消滅」

「見事な正答ですね。そこまで理解している貴海様なら、ノクシスさんがどうして世界を滅ぼすと進言したのか分かるでしょう」

 滅亡の手順は貴き血を受け継ぐと決まった者は教え込まれるのでそこまで褒められるものではない。卑屈ではなく思いながらも、ノクシスがあえて不穏な預言をした理由を考える。

 時間、空間、概念。その三つが消えるから人は存在できる場を無くす。だが、どのタイミングでだ。時間が止まるとき人は制止する。空間がなくなると魂をとどめる肉体が失われる。概念が消えるということは人が存在していたことが証明されなくなる。

 貴海は息を吐いた。隣に座るファレンが心配そうな顔をしてくれるだけで、どうにかしなくてはという気持ちになるのだから恋心とは恐ろしい。

 貴海は向き直り、出した答えの是非を尋ねる。

「世界が滅ぶ前に全ての人を他世界に移住させる。そうすれば、ファタールは滅んでもファタールにいたものは損なわれない」

「素晴らしい答えですね」

「ありがとうございます。それで、ファタールの財宝を奪い取りたい国は」

 ノクシスが世界樹図を広げる。一本の膨張する樹から生まれる世界を記録する図が何十枚も綴られている。

 貴海はまずファタールの位置を確認して、次に最新版で最もファタールに近づいている鋏を探る。あとは過去に遡るだけだ。鋏はどのように動いているか。

 一枚を一秒にも満たない早さで理解できるのは貴海の特質だ。味覚と触覚の機能が制限されている代わりに視界に入る情報は一瞬程度のずれで咀嚼してしまう。

 貴海は一点を指さした。

「食らいつくす黒い狼」

 まろやかな雛色の世界に近づく脅威がいた。

 

 

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