失われた幸福

 

 相手を想っていた記憶を忘れられないことと、相手に想われていた幸福を失う。

 どちらがより身を苛む業苦だろう。

 二つのあいだでジークフリートは答えを出せないままだった。

 そして、その問いはカルナが召喚された時から徐々に四肢に絡みついていき、いまは息苦しさすら覚えてしまう。だからジークフリートはカルナに触れられない。

 カルナもジークフリートの気まずさを察しているのか、近づかない。

 それで良いはずなのに。

 ジークフリートは遠くにある赤と黒、黄金をまとう背中を見つけるたびに、少しだけ視界に収めてから逸らすことが続いていた。

 人理修復が終わるまでは仕方ない、と言い聞かせながら。

 

 

 

 眠る必要のない夜にふらりとカルデアを歩く。静寂を乱さない程度に華々しいおしゃべりや、陽気な酒盛りの声を通り過ぎる際に聞きはした。

ただ耳にするだけで誰とも遭遇はしなかった。

 意味もなく歩くのに、無意味を見いだせるようになったころ、誰かが前から歩いてくる。ジークフリートは距離を開けようとして、途中で足を止めた。

 ほぼ、黒いだけのカルナがいる。黄金の鎧を手放した姿だ。

 一度だけ、瞬きをしてから、口が間抜けな形に開いた。

 ジークフリートを認めたカルナは足を止めて見上げてくる。しばらく視線のずれが続いてから、言葉は発された。

「奇妙か」

 ああ、君はこんな声をしていたな。

 頭をよぎるのは破壊された高速道路を照らしつける太陽。日が昇るのとは反対に薄れていく姿に、最大の敬意をはらった。

「いや」

 言い淀みそうになるのを切り上げて否定の答えを返す。

 真っ暗とまではいかないが濃い闇が包む廊下の途中にあってさえ、カルナの持つ雰囲気は掻き消せない。人の身では取り込めないほど清冽な水とでも例えたら、少しは近い気がした。

 カルナは動かない。ジークフリートも動かない。離れたところではまだ、やんややんやと小さな火花が散っているような盛り上がりを感じとれる。

 ジークフリートはカルデアに来てから初めて、カルナで視界を満たした。

 朧な記憶が浮かび、それらは欠片となってジークフリートの頭を刺激してくる。

 カルナをこの姿にさせたのは。

 必滅の槍を手にさせたのは。

 俺だけれど、俺じゃない。

 そこに思い至って顔をしかめた。カルナも困ったように眉を寄せる。

「俺が改善できうることならば、話を聞くくらいはしよう」

「……時間は、あるだろうか」

「すでに宵の刻だ。マスターも休息を摂っている。俺がすべきことは、ない」

 迷いのない言葉を聞くと、頼みたいことは自然と口にできた。

「俺に宝具をあててくれ」

 カルナは答える。

 

 

 

 多少の無理を言って、シミュレーションルームを空かせてもらった。

 カルナには限界まで鍛え上げたカレイドスコープを付けてもらい、ジークフリートは何もしなかった。剣を握りはしたが、それも気合いを入れるためでしかない。

 俺がこの人に切っ先を向ける展開はないだろう。

「ゆくぞ」

 簡潔な言葉から、決まりの詠唱が始まる。ジークフリートは足を床につけて、草原を想定された部屋に昇る太陽を見上げた。

 幾重にも塗り重ねた青い空に鮮烈に輝く、赤と橙の太陽だが、目を細めることはない。その間すら惜しいほどに、ジークフリートはカルナを見つめ続ける。

「ヴァサヴィ・シャクティ!」

 綺麗だ。

 そして、怒涛の熱が身を襲う。いくら自分が背中以外は傷を負わない造りだったとはいえ、歯を食いしばることくらいは許してほしかった。

 苛烈だというのに一切の悪意はなく、ただただ全身が焦がされる。この純真な炎の波にあぶられ続けて正気でいられるのは余程の戦士だろう。俺を讃えるのではなく、カルナに対して思う。

時間にしてどれくらいか。三秒か、五秒か。それとも一分はあるのか。

 わからなかったが不意に熱は終わった。

 ジークフリートはらしくのないことだが、舌打ちをしたくなった。カルデアにある、クラス相性が腹立たしい。

 カルナの宝具はジークフリートの体力を八割ほど削って終わった。

 頬や胸に煤をつけながらジークフリートは剣に頼らず立っている。呼吸は荒い。は、はと肩が上下してしまう。

 確かに、これではある。だが、こんなものではなかった。

 記憶の欠片を寄せ集めて、至った結論に覚えるのは悔しさだ。ぎり、と歯をくいしばる。

「満たされたか」

 カルナの問いに首を横に振った。

 頼みに応じてもらえたというのに、いま胸にあるのは、知りたかったことを知ってしまった虚しさばかりだ。せめて一撃で消えられたならばこれほど自分を侮蔑することはなかっただろう。

 宝具を撃ち終えたカルナは近づき、すっと自然な様子で距離を詰めてきた。

「お前は孤独の目をよくしている」

 小さく落ちてきた言葉によって、言わないでおきたかったことを封じていた箱を、壊される。

 ジークフリートは震える口をゆっくりと開いていった。

「あなたは」

「ああ」

「俺と、交わったときを……」

 覚えているだろうか。

 聖女と俺のマスターを思考の外にはじき出して、剣と槍を打ちあって、傷を負い、それ以上の高揚を覚えたあの素晴らしい瞬間はまだ。

 貴方の中にも、刻まれているだろうか。

 カルナは目を伏せて、首を横に、緩やかに振った。

 は、とジークフリートは笑う。へたりこむ。カルナも膝を曲げて視線を合わせてきた。色違いの瞳。峻烈な赤と清源の青。

 透明すぎてなんでも映してしまうものだから、やけっぱちに言ってしまう。

「いまさらだが。君を、好きになってもいいだろうか」

「お前の勝手だろう」

 笑いの苦みが強くなるが、それでも笑わずにはいられなかった。

告白としか取れないだろう言葉に対してなんてつれない人か。

 それでも仕方のない。

 相手を想っていたことを忘れられなかったのは、俺なのだから。