恋するお前が椿姫

 

 かけらも怒ってはいないというのにあいつは、わざと怒っているふりをしてやってくる。

「私の部屋では煙草を吸わないでください」

 唇を尖らせて腰に手を当てながら言うのは天草四郎時貞だ。十代半ばの少女がしたらかわいらしいであろう仕草もこいつがすると、あれだ。

 あざとい。わざとらしい。

 エドモンは納得しながら口から細く煙を吐き出した。天草はそれにため息をつく。

「身体はともかく精神はガキじゃないだろう。おまえは」

「煙草はあまり好きではないのですよ」

「ふん」

 そっぽを向きながらエドモンは持ち歩いている携帯灰皿に煙草を擦り付けて、火を消してから外套に戻した。

 煙草を吸うのは止めても天草の寝台をソファ代わりに堂々と座るのは止めない。足を組んで本を読んだままでいると天草がのぞきこんできた。

「椿姫」

「……ああ」

「確か、貴方をお書きになった方の息子さんの作品ですよね」

「よく知っているな」

「インド生まれのカルナが「パラノイア」など使うくらいですからね。私たちに与えられる知識もどうなっているのでしょう」

 ふふ、と笑う天草四郎時貞は楽しそうだ。

 エドモンは本を読むよりもその顔を見ていたかったので青年へとうつろうはずだった少年の横顔を眺める。天草はそっと、本に手を伸ばす。白い爪と褐色の肌が本の表紙を滑った。

「それにしても。どうしてこの本をお読みに?」

「作家たちに押し付けられた。「コーヒーはありがたいが貴様がいると締め切りへの重圧が倍になる」とな」

「ああ、分かる気がします」

 エドモンが眉を上げると天草は「だって」から喋り始めた。

「あなたは実在するかもしれない方ですが、同時に創作された方でもある。作る方がたにしましたら、才気溢れる知人や友人である親の子が常に作業を見守ってくれるようなものですよ。たまらないはずです」

 椿姫はその気持ちを代弁しているのでは、などともからかわれる。

 相変わらずかわいげのない男だ。エドモンは脚を組みなおして掌に頬を乗せる。

 知識としてはあったが読みふけったほどではない『椿姫』は、主人公の空回る努力と愛嬌もって振り回す女性たちをうつくしく描いている。いまは二人でパリを離れたところまで読み進めていた。

「面白いですか?」

「それなりにな」

「……それなり、でしたら。たまには私もお構いしてもらえませんか?」

 その言葉にエドモンはぱちりと目を見開いた。しばらく天草を見つめてから、クッと喉で笑う。

「明日、カルデアが崩壊するか? おまえが素直に甘えてくるとは」

「私はいつだって正直であるつもりですが」

「素直と正直は違うだろう。確かにおまえは正直で自分の欲望に素直な強欲者だが、違う。腹に一物持って甘えてきているはずだ」

 言いながらも天草の腰に腕を回す。今日はマスターの趣味か、赤いマントを着た段階で止まっている。そのままぐっと身を寄せさせながら、彼の耳で揺れるピアスに指を伸ばした。

 天草四郎時貞は腕を伸ばして抱き付いてくる。本当に、今日はらしくのないことばかりをしてくる強欲だ。

「……エドモン。あなた、ネタを明かされるのはお好きですか?」

「どちらかといえば焼くな。あえて無粋を口にするならば」

「でしたら、この椿姫。実は私の話なんですよ」

 沈黙が落ちる。

 いやいやそれはないだろう、と思いきり否定したかった。

 どこがお前にあたる。身を投げうって真実の愛を貫く女性か、彼女のために泣けたならば寿命が縮んでもかまわないと叫びだす青年か、それらを記し留めた作者なのか。

「ふふ、あなたもわからないのですね。この話の強欲さに」

「……全部は目を通していないからな」

「でしたらお話してあげま」

 開きかけた口を俺の唇でふさぐ。驚きか余裕のためか、たやすく侵入を許してくる口の上をつらっと舌でなぞってみせれば、開かれていた目が閉ざされる。

 口づけに身をゆだねているらしい。期待に応えてやろうと意地悪く舌の先をくすぐり、引っ張り出していく。そのままじゅちゅ、と絡めれば俺をつかむ手に力がこもった。何度も絡み合わせて唾液を交換しあえば魔力のみではない火がともる。最初は煙草の種火にすらならないそれも、繰り返していけば燃え盛る。

 きゅちゅ、じゅ、にゅちゅば、ぐちゅぅ。ぴちゃ、と余韻を残して離れた。

目の前にいるのは、まだ欲も色も知らなさそうな無垢な少年だ。その少年の口からエドモンの口の端までが唾液で繋がれている。静かに微笑んでいる天草を、エドモンは彼の寝台にくるりと回って押し倒した。

「エドモン・ダンテス」

「天草四郎時貞」

 珈琲の中に溶けてしまいそうな角砂糖の甘さで囁き合った。くすり、と笑い、また口づける。今度は触れるだけの軽いものだ。何度も、何度もしていると天草が言う。

「私は……椿姫に一つの謎があるのです」

「ん?」

「青年アルマンと娼婦マルグリットは結局、私たちのようにまぐわったのでしょうか」

「書かれていないのか」

「はい。私の読んだものでは」

 些細な話の種を明らかにされた。だが、エドモンは天草を焼かずに考え込む。

マルグリットが身を花として散らしていたのに間違いはないだろうが、あの主人公も同じことを求めて彼女を愛したとは想像しづらい。

 だが、倫理や価値の変化によって性交渉の意味は変わる。エドモンは腕の中の青年がやかましく同時に愛らしいから抱いている。触れたいと、かまってしまう。

 まるで花瓶に差された一本の花を選ぶように手に取った。

 そうであるのならば、無邪気な椿姫として青年に見初められたマルグリットは天草四郎時貞で、俺は青年アルマンになるだろう。

 一途であり続けたい強欲と、それをいとおしむ男の物語だ。先ほどの天草の言にも納得がいく。

「話として気になるといえばそうだが。いまは、いいだろう。天草四郎時貞。おまえは、俺との睦みあいに溺れるがいい」

「はい。いざというときは、すくいあげてくれますか?」

 エドモンは外套を床に落とし、ぎざついた歯を微かに見せながら天草の首筋に噛みつく。ピアスの着けられているあたりを舌でなぞり、吐息をこぼした。

 届いた言葉に、天草は目を閉じて微笑んだ。

 煙草の薫りがくすぶる部屋に響くのは濡れた音、漂いだすのは精液の匂いだった。