※何があっても良い人だけお読み下さい。ジクカル

 

 

虚無と微笑、絶望と希望

 

 校庭の隅に置かれているベンチで、ジークフリートは長い夢想から覚めた。

 目の前には一人の学生がいる。黒地を中心とした、裏地は赤で金の模様が入っている。青年のためにあつらえたような制服を着ていた。

 沈んでいく太陽のせいでもなく、ただ青年が眩しくて胸が苦しくて、ジークフリートの喉の奥から名前がこぼれた。

「……カルナ」

「オレのことは聞いていたか」

 知らないはずがないだろう。言いたくなり、唇を噛んだ。いまのカルナには自分の夢想していたときのことがわからない、と思ったためだ。

 ジークフリートの表情に何を感じたのは不明だが、慣れた様子で手が差し出された。真っ白い手には切り傷やまめなどは見当たらない。長い指と添えられた白い貝に似た爪が切りそろえられている、品のある手だ。

 その手に頼っていいものか、悩んで、俺は自分の手を重ねた。相変わらず冷たい手だった。頬にあてると心地よかったのは自分の妄想か、それとも過去なのか不明なままだ。

「ジークフリート、だな。今日から同室のカルナという」

「……ああ。よろしく頼む」

 いま、自分は微笑めているだろうか。

 カルナの透き通った底が無い青い瞳が恋しくて、それ以上に怖かった。

 

 

 

 ジークフリートはサーヴァントだ。

 聖杯戦争という場において、マスターを勝利に導くための駒だ。けれど、いまは平凡たる学生でいる。

 自分が所属する学校が存在する場所がどこの国なのかも判別しない。どの時間軸の出来事なのかも不明だ。はっきりしているのは「カルナとルームメイトの学生である」ということしかない。

 そのカルナもサーヴァントだった。彼の勇猛かつ果敢な戦いぶりはジークフリートもよく覚えている。実際に剣と槍を交えて、歓喜した仲だ。

 しかしいまのカルナにその記憶を尋ねることはできなかった。

 彼が普通だからだ。身のこなしは洗練されたものだが、格好や態度なのにこちらとの齟齬が見られない。ジークフリートよりも馴染んでいるといえた。最初からここの人物として置かれたように、カルナは自然だ。この場所に疑問を持っている様子もない。

 聞いてはならない疑問の溝が、かつて想い合っていたジークフリートとカルナのあいだに存在していた。

 

 

 

 カルナに案内をされて、一階の左隅にある寮の自室までたどり着いた。部屋にはジークフリートのものらしき段ボール箱が三、四箱置かれている。箱の存在は、予定されていることをなぞっている象徴のようで、不愉快だった。

 カルナは微かの表情の変化を察したのか、聞いてくる。

「荷物を解くのはどうする」

「よければ、いまやってもかまわないか?」

 現在に陥った手がかりが見つからないかという希望に賭けてみたくなった。なにもでてこないだろうというのもわかっていた。

 カルナは再び尋ねる。

「手伝うのと、外に出ているのならばどちらがいい」

「ここにいてくれないか」

「わかった」

 カルナはうなずいて、自身のベッドに腰を下ろした。ズボン越しに見ても流れるような細い脚だとわかる。黒いズボンから同色の靴下に包まれている姿はサーヴァントのときでいた格好とあまり変わらなく思えた。

 さて、と最初の箱に手をかけたときから、俺は予想していたのかもしれなかった。一番大きくて、開けるのは最後にしたのが良いであろう段ボール箱を開ける。

 出てきたのは、造りものとしてはあまりにも大げさで、創りものとしては親しみのある黒銀の剣だ。

 どくん、と心臓が強く打つ。

 それと同時にけたたましい音が鳴り始めた。集団生活の場にはたいていある、警報の音だ。

 普段ならば誰かの悪戯、ですむことだが、ジークフリートはぞくりとする気配を察した。まだここにはこない。だが、いずれあれはくる。到達する。

「カルナ!」

「どうした」

「……外に出る。俺についてきてくれるか」

 まだ、会って一時間も経っていない人物の暴挙に付き合ってくれるか。普通ならば、避難しようと言いだすはずだ。

 それなのにカルナはあっさりと了承する。

「お前が望むのならば」

 以前と変わらない返事に苦笑しつつ、ジークフリートはバルムンクを手に取って、部屋の窓から外に出た。

 ここが一階でよかった。自分は四階くらいならば飛び降りても平気だろうがカルナがついてこられない。

 後ろにカルナがついてきてくれる気配を感じながら、ジークフリートは凝固した害意が強まっていくのも察知していた。それだけでも常人ではないというのに、さらにこの体が異常なのは、あの重い剣を持って走っているというのに何も苦痛を訴えてこないことだ。意識が澄んでいく気持ち良ささえある。

 校舎を抜けて、最初に目を覚ましたベンチがある校庭にたどり着く。ざっと立ち止まった。振り向く前に、カルナは隣に並ぶ。まだいてくれた。俺と同様に息を乱している様子もない。

「なにがいる」

「……ホムンクルスだ」

 目の前の白い異形が何であるか、目を凝らすまでもない。何度も蹴散らしていた相手だ。しかし、それは英霊であるジークフリートのときのことで、この体で同じことができるかは不安だった。

 あと一つ。あと、一歩踏み出せばかつての自分に届きそうだというのに。

 ジークフリートはもどかしさを覚えながらもバルムンクをかまえる。あえて発した敵意に反応したのか、存在に気づいたのか、ホムンクルスが突進をしてくる。

 かわそうとしてから、カルナが隣にいることを思い出した。

 逃げられない。

 カルナは戦う力などないから。

 ジークフリートは瞬時に判断をして襲い掛かってくるホムンクルスに剣を立てた。だが、英霊ジークフリートのように一種の美すらもって斬り倒すことなどできなかった。幾分、身を削ぐだけで精一杯だ。

 あと一つ。もう一つが、必要だ。

 そうしなければ俺はまた、愛する人を失ってしまう。

 敵は獣のように咆哮をあげることすらせず、淡々とジークフリートとカルナに暴虐しようと群がってくる。じり、と距離を縮めてくるホムンクルスの群れに対抗しようと、必死に考えていたときだ。

 カルナから淡い光が発された。

光を追いかけて、たどり着いた左手にともっているそれは、三画の、令呪である。複雑な文様で編まれた、カルナには本来ともるはずのない。

 ジークフリートがジークフリートに届くための、最後の一つだった。

「カルナ!」

 名前を呼び、この場であってさえしげしげと左手にともった令呪を眺めるカルナの手を取る。

 説明をする間も惜しかった。

「俺のマスターになってくれないか」

「わかった」

 完結された返事に、ジークフリートの胸が歓喜で打ち震えた。

 彼は疑わない。恐れない。俺を信じてくれている。

 そして、この事態に対応できるということは、カルナも覚えているのだ。

 カルナはすっと周囲を見渡して、目を閉じると、次はジークフリートに視界を縫い付けた。

「こちら側に立つのは初めてだが……。ジークフリート」

 敵が確実に近づいてきているというのに、カルナは揺らがない。ジークフリートの身体を射抜いて精神を繋ぎとめて互いを絡み合わせようとしている。

 それは決して叶わない夢だった。二つの個が一つになるなど、ありえない。

 なにがあろうとも。奇跡を願おうとも。ありえないことだ。

 その不変の事実を忘れ去ってしまうほど、カルナの赤い唇は美酒の響きの言葉を紡いでく。流れ込む声にジークフリートは聞き惚れるしかできなかった。

 もっと。さらに深く、その先を俺は聞きたいんだ。一秒が千秒に感じられるほど、恋しい。

「俺に誓うか」

 言葉の足りない、たいていの存在ならば眉を寄せるか一笑して終わるだろうその言葉に。

 俺は。

「誓う」

 貴方を守る剣になることを。

 君を守る英雄になることを。

 俺の意志で道を開くことを。

「ジークフリートは誓う」

 複雑な呪文も、魔法陣も、この場に置いては必要がなかった。

 あらかじめ心がつながっているのに引きずられるように、パスが結ばれる。互いの一部が繋がっていく。

 誕生した一瞬の光のあとにこの場に現れたのは、竜殺しと呼ばれるサーヴァント。またいまは学生にすぎないサーヴァントであるはずのマスターのみだ。

 それでも、ジークフリートには十分すぎた。

 手には十分な力を携えた愛剣があり、傍らには愛すべき守るべき存在がいる。

俺は、戦える。

「マスター。避難を」

「これくらいなら逃げる程度は余裕だ。それと、呼び名はカルナのままでいい」

 あっさりと関係を縛る紐は解かれ、ジークフリートの口角が自然と上がっていく。

「わかった。カルナ、無事でいてくれ」

 この程度は数秒で片付けてみせるから。

 ジークフリートは剣を振るい始める。一撃が吹き荒れるたびに、ホムンクルスはただの残骸へとなり果てていった。

 

 

 

 ホムンクルスも大量にいるわけではなかった。言葉のとおり、十秒足らずで倒し終わる。校庭には白い残骸が散らばっていたが、瞬きをするとそれらもすぐになくなった。

ジークフリートが手にしていたバルムンクも、戦装束も消えている。

 高揚を覚える間もなく終わった戦闘から、ただの学生のジークフリートに戻ろうとして、マスターの存在を思い出す。

「カルナ」

 少し後ろで戦闘を眺めていたカルナには傷一つ、服にもほつれ一つ見つからなかった。腰に当てている手には令呪が刻まれているのが見える。三画の絆が存在していた。

 俺と、あなたが繋がっている証だ。

 ジークフリートの潤みそうになっている瞳には触れないのか、気づいていなのかはわからない。カルナは周囲を見渡して淡々とした調子で言う。

「部屋に戻ろう。お前も、聞きたいことはあるだろう」

「ああ。それは君もだな」

 同意された。ジークフリートとカルナは、誰にも気づかれないようにしながら寮へと戻る。

 そのとき、廊下に一人の男子学生がいた。少々癖のある黒い髪の青年だ。

 カルナは一度、立ち止まりかけるがすぐに自然な動作で歩きだす。途中で青年は挨拶してきたため、同じように返した。青年はジークフリートを見上げると、尋ねてくる。

「カルナ。買い物にでも行ってたの?」

 不審を抱いている様子はない。放り投げられたのは純粋な疑問だった。

 カルナは首を横に振る。すぐに引き下がるのに安心しながら、ジークフリートが彼に対して疑問を持った。

 彼は、ホムンクルスの存在に気づいていないのだろうか。警報も鳴ったというのに。そんなことなどなかったようでいる。

 尋ねたい気持ちもあるが、隣のマスターはその質問を許してくれない。

「最近は物騒だから。カルナもジークフリートも気をつけてね。じゃ」

 気遣いだけ残して青年は去っていった。名前は知らないが、しこりのように存在が心に残る。

 ジークフリートが隣を見ると、カルナはすでに歩きだしていた。後を追いかける。

 部屋に戻るとカルナは飛び出した窓を閉めて、またベッドに腰を下ろした。ジークフリートが立つか、座るか迷っていると隣を叩かれたのでそこに座った。

じっと、青い瞳に見つめられる。恥ずかしくて顔を少しだけずらすとたくましく両頬を つかまえられて、ぐきりとカルナへと顔を向けられた。少し痛い。

 カルナの沈黙は続いていく。それは一つ一つを精査する機械のようだった。

 一分ほどして解放される。首は動かすと痛いが、また逸らして強引に向けられたくないためカルナを見ていた。

「話をまとめるぞ。まず、お前はどこまでジークフリートとしての記憶を持っている」

「……おそらく、ここに来る前はカルデアにいた」

 人類最後の希望と呼ばれている場所だ。あらゆる特異点を修復して、人類史の焼却を止めるために、ジークフリートは剣を振るっていた。

「オレも同じだ。では、その前の記憶には何がある」

 カルナの質問に自然と遠い目をしてしまう。サーヴァントとして呼ばれたことは幾度もあった。喜びも、楽しみも、怒りも、悲しみも全て存在している。望まぬ行為や戦いを強いられたことともあれば、ふと微笑んでしまう些細な出来事もあった。

 それらの中でも大きな比重を占めていることがある。

「聖杯大戦で、君と、出会った」

「それか」

 ゆっくりとカルナは微笑む。その微笑の中に同じものを見つけた。

 一度、視線を交わしただけで互いの強さを認め合い、剣と槍を交わしたときには高揚があった。忘れられない。忘れたくない。心が躍り、あの瞬間、ジークフリートは英霊でありながらただの戦士でいられた。

「聖杯大戦後も、おそらく呼ばれることはあった。だが、最後はカルデアに行きつく」

 それは、つまり。

「俺にはお前と恋人でいる記憶がある」

「よかった」

 あからさまに安堵してしまう。もし、あの聖杯大戦で時間が止まっていてしまったら、大変誤解を招きつつややこしい説明をしなくてはならなくなるところだった。

そもそも、カルナが自分の恋情を覚えていなかったら、と考えるだけで切なくなる。カルデアで、不器用に言葉を紡ぐことにより心を通い合わせた。「慕ってしまった」と告白して、受け入れてもらえた。言葉や心だけではなく、体も重ねた。

 思い出して頬を染めるが追及はされなかった。

「記憶にさほどずれがないのは助かる。では、次にオレたちがいる場所はどこだ、という話だが」

 服を見る。黒地に金の線が走る制服には見覚えがあった。カルナの姿が描かれた概念礼装だ。

「俺たちは概念礼装の、世界へ?」

 質問をしてもカルナは答えなかった。口を結んで見上げてくる。

 答えはお前が一番知っているはずだ、と言いたそうだった。だから、記憶をたどる。

 カルデアにいた。小さな特異点があった。カルナたちとそこへレイシフトした。までは、おぼろげだが記憶として存在している。洞窟に入り、そして。

 そし、て。

 先が浮かばない。白い霧の中にいるようだ。手を伸ばしても何もつかめずに空を切る。匂いも見えるものも存在しないはずだというのに、ぼんやりとだが禍々しい黄金が一瞬だけよぎる。

「っ」

 ジークフリートは頭を押さえる。ぴきと頭痛が走った。痛みが訴えてくるのは、それ以上は思い出せない。思い出してはいけない。そんな気すらしてしまう。

 早く、カルデアに戻らなければ心配をかけるというのに。だが、誰に心配をかけるのだ。

 俺のマスターはカルナだ。カルナを守って、戦える。俺の望みが叶った世界にいるのだから何一つ不足はない。

「ジークフリート」

 呼ばれて、頭を押さえる手を放した。カルナは心配そうに見ている。シーツを強く握っている繊細な左手を見て、自分の願いを理解した。

 カルナを守りたい。腕を伸ばすと、大人しく抱きしめられてくれた。細い肩に、薄い体。少しだけ寄せられた眉からは気づかいを読み取れた。

 自然とジークフリートの顔に笑みが浮かぶ。カルナを安心させるために、笑いかけた。

「大丈夫だ」

 愛しい人が自分の忠誠を全て捧げられる相手で、自分に守られてくれる。ならば何を恐れることがあるか。俺はすべてをカルナに捧げて戦えばいい。襲い掛かる困難を切りはらえばいい。簡単なことだ。

「俺が君を守る」

 そうして、ジークフリートは誓いの口づけを、カルナの唇にした。カルナは身を預けて触れられてくれる。すべらかな舌をなぞり、中に舌を差し入れた。唾液がくちゅりと混ざりあうのを感じながら、離れた。とろみのある銀の液が口から繋がれていた。惜しく思いながらも指でその糸を切ると、カルナは言う。

「これが、お前の望んだ世界だ」

「そうだな」

 もしも覚めてしまうのなら、恐ろしいほどにあまく優しい、毒のある夢だ。徐々にジークフリートを溶かしていってしまう。

 だとしても、かまわなかった。

 

 

 

 静まり返った寮から抜け出して、夜を走りながら剣を振るう。傍らにはマスターであるカルナが常にいてくれた。

 化け物狩りの夜は続く。この前はホムンクルスだと思えば、その次は浮かぶ本、海魔が出た時はカルナに近づかないようすぐさま刺身にした。食欲はわかなかったので、見ていたら塵となって消えていった。

「どうなっているのだろうな」

 購買部で買ったコロッケパンをもぐもぐと食べながら、ジークフリートはぽつりと疑問を口にする。焼きそばパンを口に運んでいたカルナが手を止めた。

「ここは、俺の望んだ世界なのだろう」

「ああ」

「ならば、どうしてこんなにも弱い敵ばかりなんだ」

 集団で来られると処理が面倒だが、苦戦した覚えはない。どの化け物も一閃して斬り捨てられる。

 以前の俺は作業のような戦いを疎んでいたのに、そこに戻ってしまっている気がする。

「強い敵と戦いたいのか」

「それも、違うんだ」

 たとえば、本来の力を発揮できるカルナと戦える。それも一つの夢だ。しかし、いまのカルナは俺のマスターであってくれる。身体能力が優れている以外にはサーヴァントとしての面影のないカルナは、守る対象だ。戦いたくない。

 弱い敵と戦いたくない。強い敵を求めているわけでもない。

 いうなれば、落ち着きどころがないのがいまの気持ち悪さだ。戦闘の目的が明確ではなく、至るべき場所がない。

「夢が叶ったのならば目的は存在しないだろう。夢のまま永遠が続くはずだ」

「そうだが」

 冷静に指摘されてしまえば、納得はいくが消化はできなかった。カルナを守りながら、夢を破壊しようとする敵を斬り倒す。そこまでの夢が叶ったのに、また次を求めてしまう。

 ジークフリートは焼きそばパンを両手で持ち、もきゅもきゅと食べているカルナを見た。

 彼は俺のマスターだ。そして、恋人だ。それらしい触れ合いがこの前の口づけしかなくとも恋人であることに変わりはない。彼もいやがらないでいてくれる。

「……カルナ」

 コロッケパンを食べ終えて、向き合う。カルナはいまだ焼きそばパンを食べていたが、視線に気づくと最後の一口をこくんと飲み干した。

 どうした、と言いたそうに首をかしげる姿は可愛らしくて、ほかの誰でもなくカルナがいてよかった。強く思う。

 ジークフリートが頬に手を伸ばして触れても拒まない。柔らかな産毛を感じさせてくれる。見上げる青い瞳が揺れているのは錯覚だろうか。

「明らかに、正義だと分かる行為がある」

 小さな声で言われたことに、ジークフリートは目を見開く。

 せいぎのみかた。言葉にするとこれほど力強く、また単純なものもないだろう。絶対の価値観が裏打ちされた、夢物語の存在だ。

 英霊ジークフリートではなく、俺がそれになれるというのなら。

「教えてくれ。それは、どういう」

 真剣な問いから目をそらさずに、少しだけ間を置いてカルナは言う。

「……聖杯の、破壊だ」

 それは、と言いかけて口をつぐんだ。

 聖杯はサーヴァントである自分がマスターに捧げるためのものだ。マスターであるカルナが望むのならば、それはすべきことだろう。

「カルナ。聖杯があるのならば、君にも願いはあるんじゃないか?」

「ない」

 あっさりと言いきられた。反対に質問される。

「お前には願いがあるのか」

「……ないな」

 自分もまた、願いは叶っている。満たされた夢の中にいる。これ以上聖杯に叶えてもらう願いはない。それを伝えるとカルナは説明を始めた。

「あの魔物たちは聖杯が生みだしているようだ。外敵の発生源を壊すのもまた、正義の味方としてありうる姿だろう」

 だから、行く。

 聖杯を壊しに行くのだ。

 

 

 

 カルナは聖杯の存在をあらかじめ知っていたようだった。

 サーヴァント化したジークフリートを従えつつ、夜の学校を歩く。その足取りに迷いはない。

 迷いがあるのはジークフリートだ。

 あとから浮かんでくるのは、どうして聖杯がここにあるのか、カルナは聖杯の存在や 場所を知っていたのか、の二つがある。だけれどそれらを尋ねることもできない。嘘を好まないカルナに嘘をつかせざるをえない状況へ追い込みたくないのだ。

 だから、ジークフリートはカルナの隣で走る。走り続ける。

 そうしてたどり着いたのは体育館だった。開け放された暗闇の中に、ぼんやりとだが禍々しい黄金の杯が浮かんでいる。中にたたえられているのも濁っていて不明だ。

「これを斬ればいいのか」

「ああ」

 ジークフリートは剣を構える。

 魔力は感じられるが、目の前のそれは、聖杯とはとても思えなかった。聖、という言葉とは真逆の雰囲気すらある。

 だけれど斬る。自身が信じるもののために。

 ジークフリートは剣を振り上げようとして、すぐさま横に薙ぎ払った。カルナに弓が届かないように、飛んできた矢を叩き落とす。切り落とせた矢もあれば、硬い音をたてるものもあった。

「カルナ!」

 ジークフリートはカルナのすぐ横に立ってかばう。後ろから狙う敵がいないように目を走らせてから、剣を両手で握った。

 そして、ジークフリートたちの前に姿を現したのは褐色の肌の弓兵と、寮で見かけた黒髪の青年だった。

「セイバー。あなたの夢はここで終わらせる」

 褐色の弓兵は言いきった。縋りつく余地などない冷淡さだった。同時にまた弓が放たれる。

 カルナ、を守らなくてはならない。これはいままでの敵とは違う。自分と同じ人でありながら人であらざるものとなった、存在だ。

「ジークフリート。オレは気にするな」

 カルナは言って、ジークフリートの背から走り抜けた。より広い場所へ退避しに行ったのだろう。カルナを追いかけないように、この弓兵をここで縫い留めないといけない。逃げてばかりではいられないと、斬りかかった。矢を絶ち、弓兵の衣服をかすめる。

 顔を近づけて、ジークフリートは弓兵に問うた。

「あなたは誰だ」

「アーチャーだ。ジークフリート。竜殺し」

 字までは良いとして、真名を目の前の男が知っていることが解せない。自分の真名は教えるか、察せられるものだ。

 だとしたら、このアーチャーと同じく現れた男が俺の名前を知っていたのか。

 こんがらがる思考だったが、すぐに戦闘時のものへと切り替えた。

 目の前のアーチャーは、強い。気を抜いたらこちらがやられる。そうしたらカルナの身も危険にさらすことになる。

 ここで退けなくてはならない。ジークフリートは校庭に出て、渡り廊下の屋根に飛び乗り、軽く上を取った。矢で狙われる前にアーチャーに斬りかかる。アーチャーは距離を置いて避けるが、地面はえぐれた。そのあいだに目を合わせ、また互いに攻めの手を緩めない。

 相手は俺の名前を知っていた。ならば、宝具もつまびらかにされているだろう。バルムンクを発動するまでにこの弓兵は自身を射抜く。それだけの強さと速さがある。

焦れた。ジークフリートはほぼ傷を負わない体になっているが、急所はある。それも真名が判明している以上、相手も分かっていると予想がつくため、背を取られてはならない。

 真正面から立ち向かい、斬りはらう。それがいまの俺のすべきことだ。

 ジークフリートはアーチャーにまた挑みかかった。袈裟を斬るように斜めに剣を振るい、次にアーチャーが射るそぶりを見せたときに、ジークフリートの剣先がアーチャーの目の前をかすめた。敵の手から弓が離れる。

 カルナ、と戦ったときとは違っているな。喉笛にくらいついてすぐに終わらせることを優先する相手だ。

 改めてカルナは生真面目が過ぎると俺に思わせるほど、競りあいの相手を立派に務めてくれたのだろう。

 あのときが懐かしいくらいに、いまの戦いは心昂らない。

 それは目の前の相手も同じだったのか、ジークフリートではなく、ジークフリートのマスターを見つめて言った。

「カルナ。貴様はいつまで児戯にふける」

「望まれる限り」

 アーチャーは目の端を歪ませた。冷静であろうとしていた瞳をはじめ、端正な容姿は怒りに燃えている。

「私が彼の正式なサーヴァントではないと知ってなお、貴様はマスターごっこを続けるつもりか」

「ああ。ジークフリートが望むのならば」

 二対の視線が自分に集まり、戸惑った。

 カルナは見守っている。自分の望むものを選べと。

 アーチャーは憎んでいる。自分の果たすべきことをせよと。

「……ジークフリート」

 しぼり出されて響いた声は、ジークフリートがカルナと契約を交わした後に、声をかけてきた黒髪の青年のものだ。

 その姿がようやく記憶と重なる。ここではない。カルデアという場所でのことだ。

「戻ってきてくれないか。……ジークフリート」

 マスター。

 そう、呼びかけて口をつぐんだ。カルナを見る。彼はただ黙って微笑んでいた。

 カルナは、ジークフリートが選んだことならば何でも受け入れるのだろう。カルデアに戻ればおそらくカルナもサーヴァントに戻り、また人類史修正のための戦いに赴く。

 だが、いまのジークフリートのマスターはカルナだ。ほかの誰でもない。ジークフリートが選んだ。

 選ばれるのではなく、ジークフリートがカルナにすがりついた。

 それなのに俺はあっさりと鞍替えをするのか。否。

「すまない。俺のマスターは、カルナだ」

 敵意も害意も悪意もなく、ジークフリートはかつて己のマスターだった、ハルカに剣を向けた。

 怒りをあらわにするのはアーチャーで、ハルカはぐっと顔をうつむかせた。

「アーチャー、ごめん。今日は帰ろう」

「……マスターが望むのならば」

 弓をひっこめても、射貫けるだろうと思わせるほどの敵意を込めてアーチャーはカルナを見ていた。鋭い視線を受けても、カルナは涼しい顔のままだ。

 ハルカはアーチャーと一緒にジークフリートとカルナから背を向けた。そのまま立ち去っていく。場に残されるのは聖杯と自分たちだけだ。

「帰るか」

 こだわりなくカルナが言ったものだから、ジークフリートは驚いた。

「聖杯はどうするんだ」

「アーチャーたちと決着をつけてからでもかまわんだろう」

 これは、お前の望んだ世界なのだから。

 ぽそりと口にされた言葉の意味はわからない。

 俺が望んだ世界ならば、どうして。マスターであったものとアーチャーは現れたのか。

 途方に暮れる。

 俺の望みが、わからない。

 

 

 そのあともジークフリートは悩み続けていた。

 聖杯はサーヴァントであった俺の望みを叶えたという。その結果、俺のマスターとなった、恋人だったカルナは寄り添ってくれている。さらに正義の味方につながるのではないかという行動も見つかった。

 だけれど同時に謎もある。本来のマスターが干渉していることや、あの、カルデアにはいなかったアーチャーのサーヴァントなど。

 そして、俺は何を聖杯に願ったのか。カルナに聞いても「わからないな」としか言わない。

 かつてのマスターたちは「俺の夢を終わらせる」と言ったが、ここは俺の夢の世界なのか。そうだとしたら、俺の夢が叶っていることになる。叶っているからこその虚無が身をむしばんでいるのだろうか。だとしたら、夢の成就などろくなものではない。

 ジークフリートはため息を吐く。同室のカルナは紅茶を飲んでいたが、自身の机にティーカップを置いた。

「ジークフリート」

「……なんでもない。大丈夫だ」

「お前がそう言うときに大丈夫だったことはあまりない」

 事実だ。

 苦い実を口にした顔のジークフリートの隣にカルナは座る。ジークフリートが組んでいる手の上に、自身の手を重ねてくれた。

「それほど悩むのならば、また行くか」

「聖杯のところにか」

「ああ」

 心は、行こうと言っていた。だけれど一部は止めろと告げている。いまの安寧を変えたくないのならばこうしているしかない。もどかしさを抱えながらもカルナの隣にいたいのならば、この夢に封じられているしかない。

「カルナ。あなたにここは、息苦しいか?」

「オレはお前が望むのならば、どこにだって付き合うさ」

 微笑して言う姿に嘘はなかった。良く晴れた日の空の明るさに、また、記憶が揺さぶられる。

 俺たちが向かった、小さな特異点。求められたのは。

 消えたのは。その特異点に呼ばれたサーヴァントだけではなくて。

 かちり、といままで抜け落ちたピースがはまるような、もしくは消えていた明かりがつくような、気がして。

 ジークフリートはマスターたちへの憎しみを思いだした。

「カルナ」

 名前を呼ぶ。おそらく、それだけでカルナは気づいてくれた。だから、不安はない。

 行こう、あの力不足の願望機のもとへ。

 

 

 

 聖杯のある体育館に向かうあいだ、ジークフリートはカルナと手をつないでいた。隣を歩くカルナは指を絡めて放さないでいてくれる。

 それがどれだけ嬉しくて、安心できるか。カルデアでもこっそりしていたが、俺にも同じ速度で歩いていける人がいることに、口には微笑を、心には癒しをもらっていた。

 カルナは俺の救いだ。

 そうして、マスターたちにとっては必要な犠牲だったのだ。理解していてもその判断とは和解できない。

 だから俺は聖杯に願った。

 カルナのいなくならない世界をください、と。

 いまだ道に危ういジークフリートと違って、カルナはすたすたと歩く。たまに見上げると微笑みかけた。ジークフリートはそれだけで泣きたくなる。

「今日は、星はないな」

 夜空に光はない。刷毛で黒く塗りつぶしたように真っ暗だ。それは、俺の心の闇を表しているのだろうか。考えても意味のないことだ。

 いまの俺にとっての意味あることは、カルナが存在してくれることだと、すでに選択している。

「星は見えないだけだ。時が立てば我が父も姿を見せる」

「明けない夜はない、か」

「ああ」

 ジークフリートのカルナの手をつかむ力が強くなる。

 夜が明けても、あなたは消えないでいてくれるのか。それは聞けない。

 体育館に到着する。

 

 

 薄闇が広がる聖杯の間に、想像のとおり、二人はいた。

 ジークフリートのマスターであり、カルナのマスターであった、ハルカという青年と、褐色の肌のアーチャーだ。

 うつむかず、覚悟を決めて前を向いたマスターとその前に立つアーチャーに、ジークフリートのはらわたはどろりとした憎しみで満たされていく。学生服からサーヴァントに、瞬時に変転したのがその表われだ。

「ジークフリート」

「すまない、ハルカ。俺はもうあなたのところには戻れない」

 知ってしまったから。俺が望んでいることが何かを理解してしまった。カルナがいるという、それだけで優しい世界を続けるために俺はあえて、外敵を生み出す力不足の願望機を守ろう。

 マスターと呼ばずに名前を呼んだことでハルカも理解したのだろう。幾戦もの激戦を戦い抜けてきたマスターとしての顔でアーチャーに指示を出す。

「アーチャー。ジークフリートの捕縛と」

「カルナの殲滅ですね」

「それはさせない」

 カルナをかばって前に立つと、絶対の防衛線を引いた。そのままにらみ合っていると、アーチャーの指がわずかに動く。ひっかけか、挙動の一瞬前かの判断を下す前にジークフリートはアーチャーに切りかかっていた。ジークフリートの剣は長大であるため動きは大きい。だが、扱う手つきは繊細かつ剛直だ。あからさまな隙は作らない。

 それにはもう一つ理由があった。

 ここでも、ジークフリートの持つ宝具の一つが働いていないと気付いたためだ。悪竜の鎧はなく、もしアーチャーの攻撃が通ったら即座に動きは鈍るだろう。そうしたらカルナがハリネズミになってしまう。

 カルナを守りきって、この夢を守る。外敵を生み出す聖杯であってもいまは失えない。聖杯を失うのは、カルナを失うことにつながる。

 たとえそれが仮初めのつながりであるとしても、泡の夢だとしても、いまのジークフリートが血の咆哮を上げて願ったことはそれだけだ。

 カルナを失わない世界が欲しい。

 それが、力不足の願望機に呑まれたカルナを目の当たりにしたジークフリートの絶哮だ。

 そうして、カルナに犠牲を強いたハルカをいまのジークフリートは、許せない。

「一つ聞きたい」

「なんです?」

 いままでやりあっていたアーチャーが腕を止める。だが、弓は狙いを定めていた。ジークフリートの額を通り抜けて、カルナの首を刈ろうとしていた。

「アーチャーはこの後に、ハルカのカルデアに召喚されたのか」

「違います。私のマスターはハルカの知己であるため、そのマスターに命じられてハルカ殿に力を貸しているのです」

 ああ、そうか。

 なら。

「遠慮なくやれるな」

「ジークフリート」

 気遣うカルナに、小さくうなずくことで安心させようとした。大丈夫だから。俺が、あなたを守るから。

 それを言葉にする前に、カルナは言った。

「別離の時が来てしまった」

「カルナ!」

 ハルカが叫ぶ。手は伸ばさなかった。

 アーチャーは弓を放ち、カルナの首を狙って真っすぐに伸びていく。

ジークフリートは引き伸ばされたその時間に割り入って、矢をはじく。鎧を貫いて矢は腕に刺さるがどうでもよかった。隣を駆けていく、カルナの名を叫んだ。

「カルナァーーー!」

 黒い制服姿のカルナはそっと聖杯に触れた。

 ジークフリートに振り向いて、いつのまにか見慣れて、愛おしくなった笑顔をほころばせている。陽に照らされる皐月に咲く花のようだ。

 何か言ってほしいのに何も言わない。

 まだ、聞きたい言葉も交わしたい思いはいくらもある。それらを何一つしていないのに、俺はあなたを失わなくてはならないとしたら。それは、この夢の応報なのか。あまい世界に絶望を彩って終わるのが、俺の宿命なのか。そうでもよい。それでもよい。

 俺はせめて、俺が選んだ宝であるカルナだけは失いたくないんだ。

 ジークフリートもそれらを伝えられないまま、カルナは黄金の塵を残して消えていった。

 ここはもう、ジークフリートの望んだ世界ではない。

 ただの、ありふれた地獄だ。

「……ジークフリート。レイシフトが始まる」

「そうか」

「戻ってはくれないんだね」

「ああ。そこにカルナはいないからな」

 もう俺は俺の願いを聖杯に託して、マスターに、ハルカに背を向けてしまった。いくら望まれても戻れない。俺の矜持とカルナへの純情がそれを許さない。

「安心してくれ。いままでの借りだけはきちんと返そう」

 ジークフリートは言って、歩き出す。今回の特異点になった力不足の願望機である聖杯に手をかけた。

 足から消えていく覚えのある感覚に身を任せながら、この夢のカルナは俺の虚像だったのか。それとも、本当のカルナだったのか、考えてしまう。どちらにしろ変わりはないが。

 俺はカルナを愛している。

 

 

 そうしてハルカはジークフリートとカルナの霊基を消滅させた。特異点からカルデアへ帰るための糧とした。

 サポートを頼んだアーチャーに礼を言うと、首を横に振って言われた。

「礼には及びません。私は、ハルカ殿の願いを手伝えませんでした」

「うん。でも、今回はこれで良かったかも」

「あの二人を失ったのは、戦力として厳しいのでは……過ぎた真似ですね。失礼しました」

 ハルカは生真面目な、まだ縁のないアーチャーの言葉に苦笑する。

「辛いけれど、あの二人のためにはこうするしかなかったんだよ。せめてジークフリートには戻ってほしかったけれど、それをジークフリートが望まなかったから」

 こうなるしかなかった。

 ハルカは、目をつむって思い返す。洞窟の中に転がっていた聖杯は害意だけをまき散らす存在だというのに、消滅させるにはまだエネルギーを欲していた。

 そして、そのときハルカといたサーヴァントはカルナと、ジークフリートだけだった。そこに行き着くまでに他のサーヴァントは倒れ、令呪も一角だけだった。当然のようにカルナは自分が食われると口にして、ハルカに頼んだ。

『ジークフリートを縛り付けておいてくれ』

 買い物を頼まれるときも、いつもカルナはそうだったのだろう。そんな気安さで頼んできた。

 ハルカがいまでも忘れられないのはジークフリートに浮かんだ虚無だった。

 カルナが浮かべた微笑だった。

 その絶望と希望がなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。カルデアに通信がつながるように待って、対策をとれたかもしれない。

 すべて、どうしようもないことだ。

 だからハルカはジークフリートとカルナを消滅させた。座に戻っても、次に呼ばれるときがあるとしても、恋をして、愛を咲かせたあの二人が出会えるかはわからない。

 それでもこうするしかなかったのだ。

 ハルカはそう、ひとりごち、笑った。