ゼロの物語に人は惹かれる

 『ノーゲーム・ノーライフゼロ』をようやく観ました。

 劇場上映をしている頃から気になっていたのですが、見逃してしまっていた作品です。

 そうして、今日になってようやく手にしたのですが。

 冒頭の五分で思いました。

 これは、劇場で見るべき作品だった。

 

 

 正直に言いますと、お金を出して『ノーゲーム・ノーライフ』シリーズをところどころ読んでいますが、好きなのは六巻だけです。

 つまり、映画ではゼロにあたる本編として書かれている外伝ともいえるリクとシュヴィたちの話だけが好き。

 よくギャグが上手い人はシリアスも上手いと言いますが、シリアスベースにして無理矢理なオアシスを作るくらいのが良いのではないかと『ノーゲーム・ノーライフ』は思います。おそらく私の笑いの点が、作者さんと違うだけだともわかっているので、一番はこんな意見はきかないで自由に書いてもらいたいですが。

 

 

 前置きが長くなりました。感想です。

 映画版では一貫して、リクの種族として虐げられる人としての叫びと、シュヴィの願いに焦点が当てられている印象です。二人に思い切り寄せている造りですので、原作を読んで小説内のキャラクターの心情があらかじめ分かっているのは観ていて助かりました。私は小説を読んでいなかったら、この作品を楽しめなかったと思います。

 そして、わかっているからこそリクの中盤までの感情の圧殺と、シュヴィとの出会いにより「やりたいこと」を見つけたときの輝きが鮮やかでした。

 演出だけではなく、声優さんの演技が素晴らしい。

 シュヴィの最初の台詞の棒読み具合や、終盤の死ぬ間際のクラスタとのやりとり。リクへの感情を自分だけにしたかったという寂しさ。

 リクは全般を通して、叫びがとにかく強い。ゲームの神さまに世界を託す姿には声を枯らすほどの熱を感じ、プロポーズをしているときの優しさは惚れ惚れします。

 リクとシュヴィの、人間と機械という異なる姿でも一緒にいようと決めて、それでも生き抜くことができなかったのはわりとテンプレートです。ですが、その基本を言葉と絵と声に音楽を合わせて、切なくなるほどに仕上げたアニメという媒体のすごさを感じました。

 

 

 感想はここまでになります。

 主題歌がとても良かった。いまも繰り返し聞いています。

 次に、映像が映える小説というものについて考えるきかっけになりました。

 私は文字は文字で楽しみたいのですが、そう悠長に言っていられないなと。今回は映像の威力を思い知らされたので。