心の避難場所は監視される場所

 

 お久しぶりです、こんばんは。

 

 おそらく三度目くらいの思い立ちですが、ブログで思いの丈を発散していこうと準備しています。短文ではなく随筆の練習もしたいので、それも兼ねる気楽な習慣になるように、雑記を書いていきたいです。

 ここではツイッターで露わにするのは躊躇われる書き方や話題にも触れるでしょう。それでも、気持ちの面ではツイッターよりもこちらに書くほうが落ち着いて隠れてできます。

 実際は記事を削除しても、何をしても同じくらい書いたものが記録として残る時代なのは承知しています。このホームページ自体がひそかな文の連ねとして意味もなく保存され、何か必要になったら出てくるかもしれない。

 ネットにはもう匿名性なんてない。

 そうして当たる光が強くなり、受ける恩恵も大きいほど生まれる影も濃く酷くなっていくのではないか。

 ありがとうのやさしさと同じくらいの攻撃が世界にはあふれている。そして、攻撃はやさしさの三倍ほど痛い。

 そのときに、被害を食い止めるのは、狂気への理解ではないかと考えています。

 

 と、随分と話がそれました。

 最後に触れた狂気への理解がどういうものかは私の中でまだ結論を出せていません。また、狂気が犯罪の許しになるのはいけないことです。

 それでも私は狂気を突き放したくありません。一生考えていきたい、大切な頭のはたらきです。

 

 などと残しつつ、これから雑記を始めていきます。

 もし悪意のない関心がありましたらどうぞ。

 作文修行にお付き合いください。